大判例

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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)70145号 判決

原告

東京急運株式会社

右代表者代表取締役

島完志

被告

是枝正

右訴訟代理人弁護士

渡辺清

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金五〇〇万円およびこれに対する昭和六〇年三月二九日から完済まで年五分の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨の判決

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は裏書の連続のある別紙目録記載の約束手形二通(以下「本件手形」という。)を所持している。

2  訴外日栄開発株式会社(以下「日栄開発」という。)は本件手形を振り出し、原告は本件手形を支払期日に支払場所に呈示したが支払を拒絶された。

3  日栄開発は、多額の手形を振り出したため、昭和五九年二月事実上倒産し、本件手形も不渡となり、原告は本件手形金相当五〇〇万円の損害を被つた。

4  被告は、日栄開発代表取締役として、銀座の土地のプロジェクトを推進するにあたり、居住者の立退きを実現するため同和団体の幹部に同社が支払不可能なほどの多額の手形(本件手形を含む)を振り出し交付したが手形だけ取られ同和団体の協力が得られなかつたものであり、同和団体が右プロジェクトに協力する旨の誓約書等何の裏付けもなしに多額の手形を渡すこと自体、職務執行につき重大な過失があるものといわなければならない。

5  よつて、原告は、被告に対し、商法二六六条の三の規定により、原告の被つた損害金五〇〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和六〇年三月二九日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2、3の事実は認める。

2  同4の事実中、被告が日栄開発の代表取締役であること、銀座の土地のプロジェクト推進にあたり、居住者の立退きを実現するため同和団体の幹部に多額の手形(本件手形を含む)を振り出し交付したが、手形だけ取られ同和団体の協力が得られなかつたことは認め、その余は争う。

なお、始め、被告が日栄開発の代表取締役として職務の執行につき重大な過失があつたことを認めたが、それは真実に反する陳述で錯誤に基づくものであるから、その自白を撤回し、否認する。

三  自白の撤回に対する異議等

自白の撤回には異議があるし、右自白の撤回は時機に遅れたものであるから却下されるべきである。

四  被告の主張

日栄開発の倒産に至る経緯

日栄開発は昭和四四年二月に設立登記され、マンションの建築・販売を中心に業績を伸ばし、昭和五五年ころには「ヒミコマンション」のブランドで名も知れ渡るようになつた。

昭和五六年から始まつた、いわゆる「マンション不況」への対策の遅れから、販売不振による在庫の増大に伴い、資金繰りに追われるようになり、その対策として、昭和五六年には社外重役の迎入れ、昭和五七年には人員整理・借入金縮小・在庫調整等々の経営努力をなしたが、資金繰りの悪化は容易に解消しなかつた。

昭和五八年に至つて、折りからのワンルームマンションのブームに着目し、その分野への事業の展開を計つた。一時順調に業績も伸びたが、同年七月ころから、業界の過当競争・社会問題化等(近隣との不調和・環境破壊だという批判)により、ユーザー・投資家も警戒し始め、販売戦略に著しい影響が出た。

このような構造的な不況を脱するため、銀座の土地のプロジェクト(日本信託銀行・日本ビルプロジェクト・日栄開発で土地四二四坪を買い上げ、新ビルの建築)や大宮市のプロジェクト(鉄建建設株式会社と組みマンション二三〇戸の開発)を手がけたが、銀座のプロジェクトは、全国同和事業推進連盟等による資金元である日本信託銀行への圧力により、挫折し、大宮市のプロジェクトは開発行為の許認可が遅れ、結局、大手業者に移譲せざるをえなかつた。

一度挫折した銀座のプロジェクトは、土地所有者からの強い要望もあつて、昭和五八年一〇月ころから日栄開発単独で開発行為に取り組もうとした。この過程で、また全国同和事業推進連盟が介入した為、右連盟が右開発行為に協力する旨の誓約書を日栄開発に提出し、日栄開発からは、同社振出しにかかる約束手形を右連盟における「預り保証」ということで、右連盟に差し入れることになつた。ところが、日栄開発から約束手形を右連盟に差し入れたものの、肝心の誓約書が届かず、約束手形のみが、「預り保証」から逸脱して第三者へと流れていつた。

右約束手形が決済できず、昭和五九年二月二七日、日栄開発は銀行取引停止処分を受けるに至つた。

原告の所持する約束手形は、「預り保証」から逸脱して右連盟から第三者へと流れていつた一部である。現に日栄開発は本件約束手形の受取人とされる訴外産設計株式会社とは全く取引関係はない。

被告には本件約束手形振出しにつき、商法第二六六条の三の規定の責任はない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2、3の事実については当事者間に争いがない。

二請求原因4の事実については、被告は、始め、本件手形の振出しについて取締役としての職務執行につき重大な過失があることを認めていたが、後に右自白(以下「本件自白」という。)を撤回し、右事実を否認し、原告は本件自白の撤回に異議を述べるとともに本件自白の撤回は時機に遅れたものであるから却下されるべきであると主張するので、以下判断する。

三本件自白の撤回が時機に遅れた防禦方法であることについて

本件自白の撤回が時機に遅れたものか否かを判断するために、まず、本件訴訟の経過をみると、第三回口頭弁論期日(以下回数のみ表示する。)(昭和六〇年七月一九日)に被告は代理人弁護士を選任し、代理人が請求棄却の答弁のみ行い、第四回(同年九月二〇日)に代理人が本件自白を記載した準備書面を陳述し、第五回(同年一〇月二五日)は被告代理人が欠席し延期、第六回(同年一一月二九日)に原告申請被告本人尋問採用、被告代理人欠席、第七回(昭和六一年三月一二日)に本人尋問実施、送付嘱託採用、被告代理人欠席、第八回(同年四月一六日)に甲号証提出、嘱託文書提示、被告本人出頭、第九回(同年六月一四日)に嘱託文書証拠提出、被告本人出頭、結審、そして、同年八月付被告代理人口頭弁論再開申請書提出、同年八月一八日口頭弁論再開決定、第一〇回(同年一〇月一日)に原告が準備書面陳述、甲号証提出、被告代理人出頭、第一一回(同年一〇月二二日)続行、第一二回(同年一二月一〇日)に証人佐藤勝一採用、被告代理人甲号証認否、第一三回(昭和六二年二月二五日)に証人佐藤勝一不出頭、被告申請被告本人尋問採用実施、続行、第一四回(同年四月二二日)に被告本人尋問実施、原告申請原告本人尋問採用、第一五回(同年七月一五日)に原告本人尋問実施、結審、となつている。

右審理経過に徴すると、被告代理人は原告の請求棄却を申立てながら本件自白をしており、本件自白を認めれば原告の請求は認容されることになるので、当裁判所は、本件自白は準備書面の誤記に基づくものと推測して審理を行い、原告の立証を促し、被告本人尋問を実施していつたん結審したが、被告代理人の口頭弁論再開申請に基づき再開の必要を認め、再開決定をなし、更に被告本人および原告代表者尋問を実施している。すなわち、当裁判所は、本件自白はいずれ撤回されることを予測して審理を進めており、いつたん結審はしたものの、被告の明確な本件自白の撤回を待つていたものであり、かつ、なお証拠調べの必要もあつたところから、本件自白の撤回を機会に口頭弁論の再開をしたものである。したがつて、本件自白の撤回は時機に遅れた防禦方法で訴訟の完結を遅延させるものということはできないし、このような裁判所の訴訟指揮もその裁量に属し、違法ということはできない。

四本件自白が真実に反しかつ錯誤に基づくことについて

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

日栄開発は、昭和四四年にマンションの建築、販売を主たる業務とする株式会社として設立され、昭和五七年からの不動産不況対策として、ワンルームマンションの販売に力を入れてきたが、社会的規制が厳しくなつて、昭和五八年前半頃からワンルームマンションの販売も思わしくなくなつたので、会社の業績回復のため銀座二丁目にある銀座商業協同組合(以下「組合」という。)が所有する四二四坪の土地を入手し、ビルを建築することを計画した。右計画には多額の資金が必要であつたので、日栄開発のメインバンクであつた日本信託銀行が資金を出し、日栄開発と日本ビルプロジェクトがジョイントを組み、建築は東急建設が保証するという合意が昭和五八年三月に成立した。

ところが、組合の組合員は一〇七名位であつたが、その土地上の建物には七〇社位のテナントが入つており、テナントの立退きについては横浜の同和団体が取り仕切つており、二億円を要求して、日本信託銀行、日本ビルプロジェクトや日栄開発に圧力やデモをかけてきたので、日本信託が手を引き、この計画はいつたん挫折した。

ところが、同年九月になり、組合の方からもう一度ぜひやつてほしいとの要望があり、今度は日栄開発一社でやることになり、一〇月に日栄開発と組合間で売買協定を締結した。そこで、日栄開発の代表取締役であつた被告は、横浜の同和団体と話しをつけるため全日本同和事業連盟(被告本人は全国同和事業推進連盟と供述するが甲第一四号証の一、二と対比すると全日本同和事業連盟の間違いと解される。)の総本部会長梅田良一を紹介して貰い、同人との交渉の結果、横浜の同和団体の他七、八の各種団体が本件プロジェクトを妨害しないという誓約書と交換に日栄開発振出しの一億五〇〇〇万円の約束手形(五〇数枚の手形に分割する)を渡すことにした。銀座の本件プロジェクトは大いに魅力のある事業であつたから、右誓約書が取得できれば、資金を出すという会社は数社あり、手形の支払期日は三か月と四か月先であつたからその支払は十分可能であつた。昭和五八年一〇月に日栄開発の常務取締役であつた小室脩(以下「小室」という。)が前記梅田良一のところに一億五〇〇〇万円の約束手形(本件手形を含む)を持参したところが、誓約書は明日渡すといわれて手形だけ取られた。翌日、誓約書が貰えず、その後、被告は梅田良一と種々交渉したが、結局誓約書は貰えず、本件プロジェクトは実現できないまま、一億五〇〇〇万円の手形が次々に決済にまわり、日栄開発は昭和五九年二月二〇日に二回目の不渡りを出して倒産した。

以上のとおり認められ、右認定に反する〈証拠〉は、前掲各証拠と対比して採用できない。

右認定したところによれば、銀座の本件プロジェクトは日栄開発にとつて業績回復のための最後の手段ともいうべきものであつて、何としてでも実現しなければならないものであつたといえる。そのためには、多少の危険は冒してでも実行せざるを得ないものである。そもそも、会社は営利の追求を目的とする企業であり、その存続発展を図るためには、他に先んじて実行することが必要であり、そのためには相当な危険が伴うことは当然である。特に日栄開発のような零細企業ではなおさらである。したがつて、取締役が会社のために必要な事業を実施し、それが成功しなかつた場合に、そのことだけから直ちに会社に対する任務懈怠があるといえないことはもちろんのこと、相当な冒険をしたからといつて会社に対する任務懈怠があるとすることも企業経営の実態にそぐわないものである。

本件の場合には、日栄開発の倒産を免れるための最後の機会ともいえるものであるから、被告が相当の冒険をすることも許されるものといえよう。

なるほど、同和団体の誓約書も受け取らずに小室が一億五〇〇〇万円もの約束手形を渡したのは軽卒だつたといえるが、小室にも最後の機会を何とか実現したいとの一心があつたであろうし、その場の雰囲気として相手に手形を渡さないで帰えれたとも考えられないから、小室が本件手形を含む一億五〇〇〇万円の手形を誓約書を受け取らずに相手に渡したことについて同人には重大な過失による任務懈怠がなかつたことが認められ、まして、小室を指揮する立場にあつたとはいえ、被告にはその職務を行うにつき重大な過失はなかつたと認められる。他に右認定を左右するに足りる立証はない。

よつて、被告が職務を行うにつき悪意又は重大な過失はなかつたと認められるので、被告の自白は真実に反するものであり、かつ本件訴訟の経過からみれば錯誤に基づくものと認められるから、被告の自白の撤回は許される。

五前記四で認定したとおり、被告が職務を行うにつき悪意又は重大な過失があつたとは認められないので、その余について判断するまでもなく、被告には商法二六六条の三による損害賠償義務はない。

六以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官上野至)

別紙約束手形目録〈省略〉

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